
ちゃむさんは父親の介護と塾講師の2つの顔を持つ、42才の男性です。
彼は氷河期の影響で引きこもりと化した日々を、「人生最大の痛恨事」と振り返ります。ネットに依存し、「頑張らなくていい」の言葉に惑い、取り返しのつかない失敗を犯したと感じているからです。
今回はちゃむさんのエピソードを介しながら、8050問題の深淵に触れていきます。

父親の介護と塾講師を両立する40代の男性。
自身の過去の体験から「頑張らなくていい」を危ぶみ、「危機感を持つことの大事さ」を訴える。
内定全滅!やむを得ずブラック企業へ
完全に就職失敗が原因です。
僕は現在42才で、学生の頃は氷河期の真っただ中。
就活は親のアドバイスもあって「ひとより先に!」と頑張りましたが、理想が高く、まともな就職先で内定がもらえませんでした。
銀行マンを目指していましたが、目当ての就職先は全滅です。
諦めず年明けまで活動して、ようやく零細の不動産会社に就職しました。
ただ、しょせんは焦って見つけた会社です。銀行マンを目指す僕は納得できず、4月1日までずっと「行きたくない」と思っていました。
就職浪人も考えましたが、周囲を見ると不本意な就職先に進む友人も多く、時代に引きずられるように決めた感じです。
はい。僕が入社した会社は、いわゆる「ブラック企業」でした。
新人は朝7時に出社し、事務所の掃除からはじまります。夜は10時まで外回りして、オフィスに戻ったら報告書やらチラシ作り。家につく頃には深夜の2時という有様です。
まともに休めない体では、営業成績も出せません。
結局、上司からの叱責の連続で退社しました。去り際に「雇って失敗だった!」と言われたのが、今でも忘れられません。
ネット「頑張らなくていい」に甘えてしまう
ちゃむさんは疲労と自信喪失から、実家に引きこもるようになったという。当時の彼にとって、心のよりどころはインターネット掲示板。
「頑張らなくていい」
「ゆっくりしていい」
同じ傷をもつ仲間や相談員を名乗る人たちと、優しい言葉をかけあっていたと語る。
しかし、現在のちゃむさんは当時の仲間たちに、「怒りを感じる」と口にする。彼の言葉の背景には、仲間の言葉に甘え、ムダを過ごした後悔の日々があった。
アパートは会社から借りていたので、即座に引き払って実家に戻りました。
戻ってからは、疲労と自信喪失から引きこもりに。すっかり頭が萎えてしまって、まったく自分に自信がありませんでした。
生活スタイルも真っ暗です。
ヒマなクセして、家事も買い物も親任せ。やることと言えば、自室でパソコンを見るかテレビを見るのみ。
次第に親に会うのもイヤになり、食事は両親が寝てからこっそりと食べるようになりました。
当時はスマホがなく、ネットと言えばパソコンでした。
不景気だったので、「無職」関係の掲示板やチャットをうろちょろしていると、すぐに仲間のような人が見つかります。
中には支援員を名乗る人もいて、
「頑張らなくていい」、「ゆっくりしていい」
などと、優しい言葉をかけてくれました。当時の僕は親とも疎遠で、彼らが唯一の理解者です。「なんていい人がいるんだ」と依存する心境でした。
ところが、僕にとってはそうでもありません。
自立心旺盛なひとなら良いのかもしれませんが、僕は心が弱かったので、「ゆっくりしていい」に甘えるようになってしまったんです。
引きこもりが3年、4年と続くうちに、ウチの親などは「そろそろ就職したらどうだ」と厳しいことを言うようになったのですが、僕は「世間はがんばらなくてもいいと言っている」と考え、無視する有様。
そして、自宅で何かあるたびに掲示板に不満をぶちまけ、「悪いのは社会だ」、「待っていれば状況が変わる」などと、ネットの受け売りのようなことを親に反論するようになりました。
まさに、その通りです。
僕は「支援者は相談者がどうなると、責任は負わず、傷つかない」という大原則を忘れていました。僕が取返しの付かない事態になってから、ようやく「誰も助けてくれない」というコトに気付いたんです。
「頑張らなくていい」は、まさに人生で一番の痛恨事です。いまでも僕は、この言葉だけは信じてはいけないと思っています。
親が糖尿病に!家事や生活支援に追われる日々に
ちゃむさんを襲った「取り返しのつかない事態」。
それは、父親の糖尿病を意味していた。病状はたちまち悪化し、すぐに介護の手が必要に。母親は運転や力仕事ができず、ちゃむさんは否応なしに家事と仕事の両立を求められる。
父親が糖尿病になったことです。
これはあとで母から聞いた話ですが、父は1年ほど前から仕事帰りに2リットルのボトルジュースを購入し、ひとりで飲み干すようになったとか。
他にも、昼食を抜くと狂ったように不機嫌になったり、異常に汗をかくようになったりと、当然気付くべき異変があったそうです。
ところが僕はといえば、一緒に住んでいながらネットの世界に逃げ、両親との関りを断っていました。「なぜ気付かなかった」と、母を責めることはできません。。
幸い命は無事でしたが、父は精神のバランスを大きく崩してしまいました。
だんだんと心身の容体が悪くなり、現在はとても運転などできません。母は免許をもっておらず、現在は僕が一家の足を担っています。
大きくかわりました。
まず父が倒れたので、僕が家事を手伝うようになりました。まともに料理を作った事がない人間でしたので、レシピ本を買って食材を買い、様々な料理を作ることに挑戦してみました。
また、自然と外出機会が増えたので、外の世界に意識が向いたのも覚えています。生活費のこともあるので、「自分の食い扶持くらい自分で稼ぐか」と思うようになったんです。
と言っても、父のことがあるので、常に母を一人にはできません。
紹介会社から、塾講師のパート仕事の依頼があり、ある程度自信もあったので働きながら介護という形を取りました。
この仕事は現在も続けていますが、評判もそこそこに良く、大きな不満はありません。ただ、言いたいことがありまして…
僕にとっての痛恨事は、ネットもらった甘言です。
講師をしていて思うのですが、古今東西の歴史を見ても、「頑張らなくていい」のような甘い言葉だけ聞いていて、良い末路を辿った例はありません。
優しい言葉をかけてくれるうちはいいのですが、人は「いざ困った」となりますと、9割がた去っていきます。「手に負えない」と判断されたが最後、誰からも相手にされなくなります。
残念ながら、相談員や相談サービスなんて、その程度のものなんです。
だから僕は、困っている学生を見かけたら、「休んでも、ゆっくりしてもいいが、危機感だけは持つこと」とアドバイスしています。
自分を救うのは自分だけ。
これは人として、当然の話だと思うからです。
まとめ
ちゃむさんは巷で言われる「頑張らなくていい」、「ゆっくりしていい」などの言葉がけを、「甘言に過ぎない」とバッサリ切る。
過去、ネットに依存し現実から逃げ、両親の一大事を見過ごしてしまった経験を持つからだ。当時、困った彼はネットに助けを求めたが、「行政を紹介するだけで、具体的な支援は何もなかった」と憤る。
ちゃむさんは現在もなお、この一事を後悔し続けている。
彼が学んだことは「自分を助けるのは自分だけ。支援員は、人生の責任まで持ってくれない」ということだ。
彼は現在、両親を助けると同時に塾講師として勤務し、自分の人生を歩み始めている。