
人生の転機とは、輝かしいものばかりではありません。
ある出来事がきっかけで、幸せな日常が一転。暗く長いトンネルに潜り込んだような、日々が悩みと絶望に染まってしまうケースもあります。
今回は流産と出産を機に絶望に染まり、引きこもりと化した、こまめさんの苦悩と復活へのエピソードをご紹介します。

県内の英会話教室で10年勤務した後、現在は複数の教室を統括する事務所に所属。流産・出産後の発病から精神的ショックを受け引きこもるが、友人のひと言をきっかけに復活。
※インタービューは、クラウドソーシングサイト「ランサーズ」にて、当サイトが独自に収集したものです。
流産と出産がきっかけで、引きこもりに
こまめさんは、パリッとしたハリのある口調と、流れるように上手なトークが印象的な女性です。
現在は埼玉県内の英会話教室の統括事務職として働くかたわら、子どもとペットに囲まれ、日々を過ごしているとのこと。
お話を伺う限り、あまり悩みはなさそうな印象ですよね。
ところが、実は彼女、10年ほど前までは家から一歩も出ないほどの重度の引きこもり。精神的な問題もあり、仕事はもちろん、家事もままならない状態だったと語ります。
こまめさん:流産と妊娠がきっかけです。
10年前に妊娠したとき、流産しました。当時は悲しみというか、茫然とした感情でしたが、夫との間にすぐに2人目の子が出来て、そのまま再度の出産へと向かいました。
正直なところ、悲しむ間もないってくらいです。
こまめさん:はい。2度目の出産は不思議なくらい順調で、無事にわが子を授かりました。
ですが、わたしの苦悩はここから始まりました。無事に産めたのは良いのですが、産後検診を続けるうちに医師から突然、「貴方はバセドウ病です」と診断を受けたのです…。
こまめさん:今まで大病をしたことがなかったので、非常に大きなショックを受けました。
そして、出産の喜びもどこ吹く風で、病気な衝撃から日常生活に支障をきたすようになったのです。
たとえば、わたしはもともと会話好きな性格でしたが、診断後は近所の友人と話すだけでも過呼吸を起こしてしまいました。また、自分の異常が過呼吸から来るものと気付かず、パニックに陥って通報され、救急車で運ばれてしまうといった症状です。
こまめさん:ところが、症状が改善せず別の医師にかかったところ、「産後甲状腺炎」だと言われたのです。実は「バセドウ病」の診断は誤診に過ぎなかったという話です。
産後甲状腺炎はわたしのなかで、バセドウ病よりは軽い症状です。しかし、ショックのあまり精神に異常をきたしてしまったわたしは、もはや日常に戻ることができませんでした。
自分が外で倒れたら、子供はどうなるの…
もし、お風呂でパニックになったら、子供が危険なんじゃ…
こうした思いが次々に出てきて、次第に家族以外とは会話しない生活になりました。
自分が自分でないような日々
こまめさんは引きこもり生活を振り返り、当時を「自分が自分でないような日々」と語たった。
いままでデキていたことが、デキなくなる。喪失感に満ちた日々を振り返る。
こまめさん:はじめは、ちゃんと普通に生活できない自分に、不安と罪悪感がありました。
もともと、明るい性格で、人と会話することが好きだったのに、急にそれができなくなってしまう。外に出る前に近所の人がいないかチェックしたり、人目に付かないように遠くのスーパーに出かけてしまう。
ふと冷静になると「これがわたしの姿なの?」と、自分でも自分が信じられないような恐怖を感じました。
思い返しても、人に知られたくないことばかりでした。ですが、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、人に相談したり、人と話したいときもあるのに、それができなくて、苦しい面もありました。
こまめさん:日々の生活が、治療と育児しかありませんでした。
必要最小限の家事と育児で過ごして、甲状腺炎の通院はタクシーで近場の病院に行きました。甲状腺炎が完全に治る病気ですが、わたしの場合は完治まで1年以上かかり、さらにパニック発作や、予期不安があって、外出困難な状態がそこから二年以上続きました。
人目に触れるのもイヤになり、人と関わるのもイヤになり、完全に孤立状態。
唯一の楽しみは、食べることと、子供の成長をビデオに撮ることだけ。それも心からは楽しめません。子供に「こんなママでごめん」といった、申し訳ない気持ちもありました。
あとから振り返るとその時期は、暗いトンネルにがずっと続くような、社会から隔離され、取り残されたような感覚です。
学生時代の親友のひと言が転機になる
病気を契機に社会から離れ、疎外感を感じていたこまめさん。
彼女は以前から「このままではよくない」と感じ続け、悩み続けていたと語る。そんな彼女の運命を変えたのは、学生時代の親友がくれた「ひと言」だった。
わたしには、男性の「現状を打ち破ってやる!」のような奮起する思いはありませんが、漠然と「このままではダメだ」という思いはありました。
単純に「このままだと苦しい」「ただ、この苦しみの状態から抜け出したい」と普段から考え続けていて、でもきっかけが見つからない状態でした。
ある日、学生時代の親友から同窓会に誘われたんです。
ですが、当時のわたしは精神的にボロボロで、とても電車には乗れません。はじめは「会いたいけど無理」と断ったのですが、「何かあったの?」とその親友に心配されたので、今の自分の状態を話したんです。
以前から「誰かに話したい」と願っていたので、気付くとすべて語っていました。
その親友はわたしの気持ちや事情を理解してくれて、最後に「暗いトンネルはいつか必ず抜けられる」と教えてくれました。
よく一般的に言われる「明けない夜はない」とあまり変わらない言葉ですが、このときのわたしには、「暗いトンネル」という言葉がぴったりで、「いつか必ず抜けられる」という言葉が、本当に暗いトンネルから見える一筋の光に見えました。
この言葉は、間違いなく彼女がわたしのために、自分で作ってくれた言葉だと思っています。受け売りのようなものではない、真実の気持ちが見えました。
あとから振り返っても、この言葉があったからこそ、「いまの状態から必ず抜け出せる」と、自分で信じることができたと思っています。
ポスティングから英会話講師へステップアップ
復活を決意したこまめさんの足跡には、もはや暗く陰鬱とした雰囲気は感じられない。
彼女は以前持っていた輝きを取り戻したばかりか、より美しく、打たれ強い、精神的に成長した自分を手にしていた。
彼女はいまも悩みを持ち、苦しみを抱えている。しかし、それでも今の彼女の視線は、前を向き未来を見据えている。
はじめは、簡単な単純な仕事から始めようと思っていました。
病後で落ちた体力もつけたかったので、自分の健康にも役立つような、体を動かせるバイト。そして、人とあまり関わらなくていいバイトとして、ポスティングのお仕事を選びました。
また、ポスティングは決まった時間拘束がありませんから、家事との両立もできそうだと考えました。
1年ほど続けましたが、次第に自信を取り戻すことができました。
当時のわたしは、もう肉体的には病気の後遺症からも立ち直り、元気な状態と言われていました。それでも、精神的な影響から2年ほど休んでいたので、「仕事が務まるのか」と不安でしたが、精神的にも肉体的にも自信がついたのを覚えています。
ポスティングの仕事は好きでしたが、精神的にも肉体的にも「以前より強い!」と自信がついていたので、ステップアップしたいと思っていました。
わたしは以前から、英会話が得意でした。そこで仕事の合間に英会話の勉強をしなおして、英会話教室の講師として就職する道を選んだのです。
復活後のわたしは、前以上に活発で元気になりました。
最初は「アルバイトくらいなら気楽でいいかな~」と軽く考えていたのですが、思いのほか仕事が順調に進んでしまい、アルバイトからフルタイムへのお誘いが。
気が付くと10年ほど、英会話教室で働き続けることになりました。自分でもびっくりするくらいの復活ぶりです。
いまはキャリアも順調に積んで、教室全体の事務統括をさせていただいています。
ただ、病気の反動がないかというと、ウソになります。いまでも時折、ハイなときと、精神的に停滞しているときがあるんです。
これは自分でもコントロールが難しく、調子に乗ったなーと思うときと、その反動で落ち込むことがあるので、それがつらい面ですね。
ただ、最近は年と共に、波が小さくなってきたように思います。
いまの自分を不幸とは思わないですし、家族やペットからもらえる喜びや幸せもありますが、今後は自分なりの喜びのようなものを、探していこうかなとも思っています。
まとめ
今回は出産と流産という壮絶な出来事をきっかけに、引きこもり主婦になってしまった、こまめさんからお話を伺いました。
彼女の日々は想像するだけでも過酷ですが、現在の彼女は見事に乗り越え、家族と共に日々の生活を過ごしています。悩み続け立ち直りを決意した彼女も、「トンネルはいつか必ず抜けられる」と温かい言葉をかけた親友も、優しさと気力に満ちたステキな女性です。
わたしも引きこもり生活の経験があり、今回のお話には胸を打たれました。引きこもりに悩む人たちにとって、少しでも助けになればと願っています。