「母がわたしの役割を奪った」40代女性が引きこもりになった理由とは

今回は母親の定年がきっかけで引きこもりになったと語る、さちさん(48才)からお話を伺いしました。

彼女は夫と子供に囲まれ幸せに暮らしていたが、次第にその役割を、母に奪われるように感じていたという。彼女が抱いた感情の正体は、何だったのか。

そこには、その身で体験したからこそ語れる、生々しい感情が渦巻いていた。

 

回答者 さちさん

兵庫県に住む40代の女性。現在は工場のライン作業に従事する。

彼女はもともt、夫と子供とともに実家暮らしをしていた。しかし、同居する母の定年をきっかけに関係が悪化。家事に育児に母が張り切るにつれ、自分はだんだんと引きこもりなってしまう。

その語の人生は悲惨そのもの。ネットに溺れ、家事は放棄。家族との関係は悪化する。最後に彼女が下した決断とは…?

 

引きこもりのきっかけは、母の定年

 

ゆめ
どうして、引きこもってしまいましたか?

 

話すと長くなるのですが、母の定年が原因です。

私の父が若くして亡くなっていたので、結婚を機に夫が私の実家に入ってくれました。結婚して5年経ち、ようやく子供が授かりましたが、幼稚園に入園させるまでの3年間の間に母が定年になってしまったんです。

 

ゆめ
お母様の定年と引きこもりには、どんな関係が?

 

母の定年により、いわゆる一家に主婦が2人状態になってしまったんです。

定年後の母は仕事に使っていたエネルギーを家事や子育てに回すようになりました。買い物にも、子供の送り迎えにも行ってくれる。ご飯だって作ってくれる。

私は次第にやることがなくなり、いつしか外に出ることがなくなってしまったんです。

 

ゆめ
なるほど。それならいっそ、仕事に出てしまうのも良いのでは?

 

もちろん、仕事も考えました。

しかし、当時の私の年齢は40歳でした。ずっと主婦だったのでこれといった職歴もありません。働こうと思っても、年齢がネックになって面接に落ち続けました。

そのうちに面接恐怖症になってしまって、就職活動そのものを諦めてしまったんです。

仕事はできない。家事は母がしてくれる。だから何もすることがない。

結局私は、いわゆる引きこもり。そんな思いがぐるぐるまわり、気付くとインターネットが趣味のニートになってしまいました。

 

気付くと対人恐怖症に

 

きっかけは母の定年と語るさちさん。

彼女は自分の母に居場所を奪われ、実に5年間も引きこもり生活を続けてしまう。再び社会に目を向けたとき、待っていたのは「子供の視線」に恐怖する自分だった。

 

ゆめ
引きこもっている生活は、どのような日々でしたか?

 

引きこもりは、最初のうちは気まずかったです。

でも、慣れてくると楽さの方が勝ってきます。朝起きればパソコンの電源を入れて1日中パソコンの前に座っています。

趣味の小説を書いたり、2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)を見たり、本当にネットの世界で生きていました

 

ゆめ
お母さまとのご関係は大丈夫でしたか?

 

母は、明らかにわたしをバカにしていました。

母から「恥ずかしいから外に出ないでね」と言われていたので、出れなかったこともあります。私のやることを取っておいてこの言い草。

本当に毒親だと思うんです。

ゆめ
どれくらい引きこもり続けましたか?

 

気付いた時には5年以上も経っていました。

ただ、その間に子供も大きくなってきて、だんだんと「子供からみたわたし」を意識するようになったんです。

子供からみるとわたしは、家事も仕事もせずに、自分の部屋にこもり続ける母親です。

パソコンを前にブツブツ独り言を語ったり、不満があると母や夫に怒鳴り散らしたり、気に入らないことがあると部屋に逃げ込んでしまうわたしです。

次第に「こんな自分はイヤだ」と思うようになり、だんだん精神的に追い詰められていきました。

 

復活のきっかけは母とのケンカ

 

子供の成長とともに、鬱々とした生活を続けるさちさん。

現状を変えようと動いた動機もまた、母とのいさかいだった語る。

 

 

ゆめ
引きこもり脱出のきっかけは、どういったものですか?

 

きっかけは、母とのケンカでした。

母は自分で私の「やること」を取っておきながら、「お前は母親らしいことも妻らしいことも何もしない。情けない」と言い出したのです。

これには本当にカッと怒りがわき上がり、「じゃあ別居しよう」と言ってしまいました。父がいなくて母をひとりにするのが不安で同居を決めたのが間違いだと思いました。

腹が立っていたので、それなら自分だけの年金で生活すればいいじゃないかと母を捨てる気持ちになってしまったのです。

 

 

ゆめ
なかなか激しいケンカですね。旦那様は承諾したのですか?

 

いいえ。何度か言い合いになりました。

ですが、母と私のケンカは日増しに激しくなり、最終的には家を出て生活するという話に流れました。

とはいえ、私達も実家で暮らしていたから生活に困らなかったのも事実です。実家を出るとなると、夫の給料だけでは心もとなく、私も職探しをするという条件がつきました。

 

 

ゆめ
それで、お仕事探しに向かわれたのですね

 

長いこと引きこもっていたので、すっかり社会性がなくなっていました。

最初はレジ打ちやパン屋などきれい目の仕事の面接を受けましたが、上手くいかず。仕方ないので夫に相談して、黙々と作業をする工場勤務の仕事に応募しました。

電話をして面接の日取りを決めて、実際に面接を終えるまでずっと落ち着かず緊張していましたが、内定の電話をもらうと力が抜けたように安心したのを覚えています。

 

無事母と仲直り。現在は共に暮らす

 

さちさんは仕事をはじめてからも、色々な苦労をしたと語る。

ただ、現在は何とか乗り切って、母とも無事仲直り。完璧ではないが家族仲良くくらしているという。

 

 

ゆめ
仕事は順調に進みましたか?

 

いざ、働き始めると、思うようにはいきませんでした。

働くまでは、2chの情報をうのみにして「工場は黙々と作業するだけ」みたいなのをイメージしていましたが、実際に働くと全くそんな感じではありません

人間が集まっているので色々な話や会話はありますし、工場は変な性格の人が多いので、いじめのようなこともありました。

 

 

ゆめ
いじめやパワハラはつらいですね。

 

最初は毎日「辞めたい辞めたい」って思っていました。

それでも、仕事に慣れてくると周りも認めてくれるようになってきたので、いじめや嫌がらせも減っていきました。

入れ替わりの激しい職場なので、3年もいるともう中堅に近い感じです。

 

 

ゆめ
お母様とはどうですか?

 

結局、母とは仲直りして今は一緒に暮らしています。

わたしも朝から夕方まで働いているので、住み分けはできた感じです。母が家事の一切を引き受けてくれています。

当時は母を憎みましたが、結局、わたしの気持ちって、ただの劣等感だったんだと思います。劣っていることを認めたくなくて、母につらく当たったり。人に言われると批判されるかもしれませんが、そんな感情を持っていました。

こうして仕事をはじめた現在は、むしろ母に感謝できるまでになりました。子供も順調に成長していて、家庭の雰囲気もとてもよいものになっています。

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